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2012年2月 のアーカイブ

言葉のいらない世界

2012年2月18日 コメントする

  
  
  

幼いころから、

ぼくは憧れ続けてきた。

言葉のいらない世界を。

言葉なんかなくっても、

海のように溶けあって、

ひとつになって、

不安なんか少しも感じない世界を。

ぼくは、そうして「ものかき」になった。

いまぼくは、

言葉によって、

その世界に辿り着こうとしている。

それは不可能かもしれないが、

不可能だと誰が断言したわけでもない。

証明してみせたわけでもない。

東京で生きていたときは、

「愛」は語られなければ分からないものだった。

けれどもいまは、

触れあうだけで分かる。

やっとここまできた。

それは、やっとぼくが、

抱きしめたいほど愛しいものを見つけたからだ。

そして、その「もの」とは、

この世界のすべてだった。

生きること。

やがて死を自覚しながら生きること。

そのときに「愛」は生まれた。

今夜も幼い君たちとふざけあい、

触れあいながら、

その愛しさをぼくは手放さない。

抱きしめて、

君は「またね」って手を振った。

ああ、またね。

愛しい君たちよ。

ぼくはこの血の熱さを君に伝えて、

君は受け取ったことだろう。

そんなふうに、

ぼくは今日を生きている。

幸福な人生を。
  
  
  

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2012年2月8日 コメントする

  
  
  

その人は逝った。

2日前のことだった。

今朝ぼくは、葬儀で法華経を読誦する立場にあった。

その人は82歳だった。

その顔は、苦痛もなく苦悩もなく、

穏やかで眠るがごとき表情だった。

やがて棺が閉じられる前、

10通を超える孫たちの手紙が入れられた。

何が書かれていたのか、

知る由もないけれど、そこには

あふれる心情が込められていたことだろう。

親族の誰かがその顔に触れ、

「変わらへんねえ」と泣いた。

まるでまだ生きているようだと、誰もが思った。

また誰かが叫ぶように、

「向こうに行ったらお母ちゃん、どこにおるか見つけや」と言った。

妻のことだろう。

愛しあっていたのだろう。

見る間に花で棺は埋め尽くされ、

惜しむように棺に触れていた人々は、

時間にせかされて思い切った。

もう見納めだけれど、

その人の顔を見ることはもう二度とないのだけれど、

思い出は残った。

通称「泥棒市場」から這い上がって、

商店街に店を構えるまでになったその人は、

子供たちを育て上げ、

多くの孫が生まれ、

灰となって大地に還る。

人は生まれ、苦悩し、立ち上がり、喜び、

そうしてやがて死ぬ。

その循環をぼくもまた生きているのだ。

今夜は満月。

薄曇りの上から、ぼくを見ている。
  
  
  

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